日々

確か小学6年の時だった。
父親が
「兄は大学に行かせるが
 お前は高卒で働いて家に金を入れろ、兄の学費にする」って言ったんだ。
 
田舎の小学生で世間をよく知らず
なりたいものはいくつもあって
自分の将来なんて定まってなかった。
『大学進学』と言われてもピンと来なかった。
だから高卒で構わないと思った。
 
ただ
 
兄は大学へ行かせる価値があるけど
自分はその価値がないんだ
 
と思ったんだ。
父親にとって自分はお金をかけて育てる存在じゃないんだ、って。
兄の学費を捻出するくらいしか自分は役に立てないんだ、って。
 
その時から
「自分は高卒で働くことが重要で職業は何でもいいんだ
 出来損ないの自分がなりたい職になれるわけがないんだ
 自分に職業を選べるような能力なんてないんだ
 人に堂々と言えないような職業になっても仕方がないんだ
 体を壊すような職業にしか就けないなら就くしかないんだ」
ってずっと自己暗示をかけてた。
最悪、中卒で働こうとも思ってた。
 
*
 
あの頃、親に抱いてた「感謝の気持ち」っていうのが
「出来損ないでいらない子どもなのに
 仕方なくわざわざ育ててくれる良い親」だったんだ。
 
思い返すと、ただの洗脳だったなぁ、と。
洗脳が溶けたら父親に対する
感謝の気持ちも一気に消滅しました。
 
*
 
子どもが親を慕ってればいい親ってわけじゃない。
本当にいい親っていうのは
子どもが社会に出て、社会を見て知って
客観的に親を見て
それでも子どもが慕える親がいい親なんだ。
 
っていう愚痴まじりの自戒。
 
私がいい親かどうかわかるのは数十年後。


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