ばとじおのおかげで
今まであった檻みたいなものが
少しずつ崩れていく感覚。
 
父親に剥ぎ取られた自信。
 
小学校4年くらいに父から言われたこと
「お母さんは子供2人目はいらないと言ったが
 自分が欲しかったから産んでもらった」
「お前が未熟児だったのは
 お母さんが産みたくないという精神面が影響したから」
そして小学校6年の時に言われたこと
「兄は大学に行かせるが、お前は高校までだ高卒で働け」
 
ずっと、
自分は父親にも母親にも本当に必要とされてはいないんだな、って。
母は元々私なんて欲しくなかった。
父は兄と比べて出来の悪い私に何も求めていない。
自分はいなくてもいい存在なんだ、って
思春期時代にそう自己暗示をかけまくった影響はずっと残ってて。
「傷つく前に傷ついてればそれより傷つくことはない」って
それがあの時の自衛手段だった。
 
父は自分が兄をとてもひいきしている、ということに無自覚で。
父本人は兄にも私にも平等に接してたつもりだったらしい。
でも、明らかにそうじゃなかった。
学生時代、父から褒められても、
「実際は私を認めていないという本心」が態度に出ててわかりやすくて、
褒められてもその裏が見えてるから嬉しくもなくて、
むしろ「兄を褒めるついでに情けで褒めてるんだ」って
「褒めておかないと場が悪くなるから言っただけの社交辞令」みたいに思って。
出来が悪いのを憐れまれてるとしか思ってなくて。
思春期時代はずっとそんな状態で。
 
気づけば父だけじゃなくて色んな人からの評価を
「社交辞令」としか捉えてなくて
「本当は認められていないんだ」ってひねくれた受け取り方しかしなくて。
 
だけど
ばとじおで
本当に沢山の人から賛辞の言葉をもらって。
「社交辞令じゃないんだ」って思えるほどもらって。
今まであった檻のような
「自分は能力もなくて認められない要らない存在」
っていう意識が少し崩れて。
そしてその状態で過去の自分を振り返ったら
あのころは自分をものすごく抑えこんでたんだ、ってやっと気付いた。
 
思春期全力の自己暗示は根深いけれど
でも、少しずつ、崩れてきた。


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